2011年12月28日水曜日

とうとうとかたっとう

ちかごろ関西弁にナショナリズムなので、よどみなく流れるようにドライブする話法を見いだそうと日々試行していますが、声それじたい、聞き手に対する敬意の表明法、距離感による標準語との混合率、語尾の力加減、諸々が気になって、毎度毎度思考が逸れに逸れでんでろと煙にまかれてかなわん。
兵庫県は神戸らへんの出身のため、いざとなると標準語にも移行可能な薄めの関西音律に播州弁のアクが混入したようなものを元来くっちゃべっておったのですが、京都に越して来て、しはるしはるが移らはって、奈良と三重の友人の影響で、やんやん言うようになり、しとーやんしやんでええやんしはるしなあなどとやかましな状態なのです。
ここは基本に立ち返ろうということで、播州弁の私小説作家車谷長吉さんの本をかってきて朗読などして勉強しておるのですが、内容、それ自体が濃厚に死や私怨やら糞尿の匂いに野山の風景、を立ち上らせるのでなかなか読み進みません。
やけども神戸弁の際立った特徴、なになにを「している」の活用、なになにを「しとー」(進行形から完了系のあいだのようなニュアンス)が、活字になって「しとう」と書かれていたのを初めてみたので、なんだかたまらなくうれしかったですよというはなし。
しとーの語尾の音から立ち上るのは春のぽわぽわした日だまりの膨らみ。「とー」が吸い込まれるのはそういうオレンジ色の隙間で、そのひびきをもっとーから、わたしはときどきわたしに「かえっていける」のです。
さらにダメ押しの。
いまぽちぽちブログをかいとー中で、あまり使う機会に恵まれへんかったのでむりから最後に一行つけたしましたよ。というはなし。

2011年12月24日土曜日

秋のサー去り

秋が立ち枯れて行くあいだは、このままいけば私が把握する世界は全く灰色になってしまうのではないやろうか、というくらい景色の飛び込み方にこまかいこまかい砂嵐のサーが掛かっているのやけれど、冬至までくるとここ数日の長い夜じゅうつづいた突貫工事で冬は竣工されており、ガサガサの薄膜は取り払われ、明かに澄んだ大気ごしの青空に樹木にその他色々に色あいがもどったような、いや、色あいはもともと変わっていなくて、ここまで届くようになっただけか、そんな覚えとともに昨日のお昼は出町柳のまわりをぐるぐると散歩し、骨まで到達した寒さを抱えて梅田行きの電車に乗ったらば、お腹にためた寒さが発熱しだしてふかいふかい眠りが訪れた。このすさまじい引力の眠りが死因だったらよいのにとあこがれて。
そんなことを忘れながら忘年会に参加し、おいしいご飯を沢山食べ、焼酎と酎ハイを飲み、おおいに談笑し、卓球とビリヤードに興じたのち、おいしいご飯を少し食べ、サングリアと赤ワインを飲み、手短に談笑し、小豆の電車に乗ってかえってきてねむったけど、起きたら、きっと眠りが怠惰な引力のものだったせいで靴下の足が少しだけ湿っていて、怠惰。この怠惰の円環のいちぶぶんを私は愛してやまないけれども、つねにこの輪っかをほぐして確認しなければいけないようなのでそれは性で、性ですねと昨日だれかに-わたしはしってるけど仮に某とおいて-言われたなあ違う言葉じりでやったけど。
それがなんやったか、と思い出せたのやけど、その場ではわりと感覚に合致して受け取ったもののいまになって文字に書いてしまうと尊大に聞こえそうなのでここではいいたくないなあ、つまりこれは独白風のそと面の文章やなあということを確認して、彼もそういう、そと面となか面のことがせめぎあうのでこれを言うのは恥ずかしいのやけどなあ、というようなことを会話の中で自分にいったね。それとこれをこれにそれしてこうやんそうやんちゃうやんそうそうこうやんというのがひとの考えるという会話するという行為で、その内実に頼りがなくても、引き出しをぱたぱたしまくる行為には何か、霊媒的な高揚があるね。
道行きはたのしいなあ、楽しくないけど、愉しいなあ、これもちょっとちがうから自分でかってに拵えると棚納しいなあというところ。

2011年12月21日水曜日

秘匿をしって大人めく

おはようございます。
今日は通常運転の平日ではないので家を出る時間が遅く、バナナなど食べながらゆるりと体をのばしています。

と、書いたのは今朝のこと。
時間がどこかに溶け出して出発時刻になっていたので
保存をして出掛けたのでした。

-きをとりなおして-

一昨日のことです。
このことことぶろぐを更新するためだけに、日常の些事を目を皿にして捉えようとするのがなんともあさましいなあという気になり、よし今日はやめようと思った冬冴えの朝に、おはなしは舞い込みました。

研究室に出入りの業者さん-おない年で、なつこい感じのひと-に
「土曜日に、街に居ませんでした?」
と問われ、すぐには繋がらなかったのですが、3秒ほど辿ると突き当たり
「ああ、居ましたよ。声かけてくれはったらよかったのに。どのへんで?」
「藤井大丸の近くです。友達の車にのってたんですけど、壊れて止まってたし恥ずかしかったんですよね。」

故障した車に往生し、その場に止まっている業者さん。
通りを女の子と連れ立って歩く私。3秒くらいは眺めていたのではないやろうか。
ひとがひとの顔をそのひとやと認めるのにはコンマ1秒ほどしか要らないので、3秒も眺めていれば、色々お話を拵えるのに充分です。

おそらく幸せなクリスマスカップルに見えたやろうなあ。12月のこの街を二人で歩いているということはそういうことです。
そして、余裕が在れば手に提げた買い物袋にも目がいったのやろうし、そうすれば。
ああ、驚きを仕掛けるでもなく、落ち着いて二人でいることにも随分馴れた間柄なのやろうなあ。となります。
背丈を比べて、服装のテイストから昼間の仕事を考える。もっと下世話には、昨晩は一緒に寝たのかしら。

「違うんです、カップルではないのです。大学生時代、やたら仲良くしておった女ともだちなのです。ただおかいものに付き合っとっただけで。」

これまでの僕ならこういいましたけど。
今は他人のお話にも動じなくなってきたので、しぜん、自分につけられたお話にも動じません。

秘匿を知って、大人めきたい。
とのことで、黙っておきました、余韻は、残せたかわかりません。
とりあえず重心はうしろに、間をたっぷりめに、笑いました。

つまりはこどもなので、大人めきたいのです。
セクシーほしい。

2011年12月19日月曜日

雑記

焦れているけれど
ただキーを打っているだけでは
思っても居ない方にひっぱられるだけだ。
小手先に押し込められてもっともっとしぼんでいくだけだ。

意味しかない、覚りのない文字列しか書けなくて
分量をこなす力がないのなら
たったひと言、ひと文字をひもとくことをするしかない。
その行いは誰にも発見されなくてかなしいけど
伝わらないのならばもとより。はじめから。なにもないのやから。

そうであって
これからもそうでありつづけるもの
それにすれちがうまでは
ひたすらに耳を澄ます目を澄ます肌を澄ます
見開いてまつだけだ。

生活。最低限それを回しているあいだは
取り組めなくてとっても焦れる
停滞の時間が喉から手がでるほど欲しい。
でも欲しいからといって
すべてに上手く処して切り分けてしまってはもともこもない。
いつまでたっても停滞が借り物なのだ。
というのはここいちねん程の教訓。
やけれど
なにか努めることができる部分は、きっとある。
そうであってほしい。

すれちがうもの。
幸いにも今は冬だから、混ざり合いにくくて、きっと見つけやすいはずだ。

2011年12月18日日曜日

空白にことばをつけたひとはいだいだ。

昨夜から京都のまちはいちだんと冷えています。
「寒いね」「寒いですね」との会話が指し示す温度は毎日違っているし、人によって違っているし、出会うまでに通ったゆき道も違うから判りようもないのやけど、少しの連帯を覚えるのは、ひとりよがりなんでしょうか。

すれちがうようなもののことを考えています。
こんな形の先端が肌にこの程度の圧で当たり、それは皮下のタンパク某に伝令され、神経を電気が奔り、脳が検知して。などという仕組みは確かにからだに備わっているのやろうけれど。
どうやらその積算で表しうるものではなく、なんかこう真理をぴたっと言い当てられたような"感覚の文章"-しかもそれはそれ以上分解されることがない-といえるようなものが世界には点在していて。ひとは時折それをそれと気づかずにすれ違い、それとすれちがったことのあるひととまたすれ違うのです。
永遠にひととひととはわかりあえないのは、"感覚の文章"は誰にも書くことができないからです。その文法は、未だ解き明かされていないけれど、そこにあることはあるのです。書けないけれど、目を凝らせば模様が、耳を澄ませれば音律があらわれることがあるようなのです。
あらわれたものを捉えたひとのなかには、どうにかしたくて仕方がたくなってしまうひとがいて。そのけっか、詩をかき、写真を撮り、絵を描いたりして、"感覚の文章"はにんげんの景色に翻訳されています。やけれど、作ったひとにそれをにんげんの言葉へと細大漏らさずふたたび翻訳してもらうことはできないのです。誰も"感覚の文章"そのものを話す事はできないのですから。

すれちがうようなもののことを考えています。
だれかがすれちがったすれちがうようなもののことを考えています。

2011年12月16日金曜日

補集合

机を後ろに寄せて
教卓は黒板のほうへ
青いスチールパイプのほうきを
床の罫線に沿わせて曳く
両手の円運動が
地面に水平になるのを
我知らずたしかに過ぎている
物理や数学は
すでに消しがたく宿っているのだけれど
今はまだ喃語を話すのみで
母音が鼻骨を震わせても
たな引く昼間にあらかた吸われてしまう
それでもわずかに残った響きは
毛羽立った化繊の穂先を
上履きに何度も踏ませ
灰色のわたぼこりになって現れる
漠たるかたちは掃きよせられ
机の足にほうきがあたるその
とき
を少しだけ出し抜いて
窓の外の空はこつりと鳴り
ひと筋の風が
目に見えて胸の前で反り返る

誰かが前にすれちがったものと
私もすれちがったことがあった

2011年12月15日木曜日

よりぬ記「ハグロトンボ」(20100715)


(2010年07月15日  mixiより)


”そうれっしゃ”

行きも帰りも電車は乗り換え
帰りの方のホームで
自分と一緒にトンボが乗った
真っ黒なトンボ初めて見た。

ひらひら
飛んで誰かの靴ひもに止まった後は
ひらひらして地面に止まって
電車は揺れるのに静止した
湿気で羽が重いようだった。

真っ黒いベールみたいなきれいな黒色
死んだ花嫁に着せたいような
ハグロトンボというらしい。

お祭り
雨の日
ひどいそらの色
はぐろとんぼ




”雨はいつまで続くんかいな”

それにしても朝から気がそぞろで
今日一日を悔いそうな一日になりそうだこと
と思っていたら電話が鳴って
インターンの選考に通ったとさ。

ヒゲそり忘れたのをそのまま面接受けたり
3年間を3日間って言い間違えて笑われたり
常にプルプル震えてて口がパサパサだったり
窓の外見ながら音楽の話ばっかして
受かると思ってなかったから
いい練習になったわい とかいって言い聞かせたけど無理めで

ああこれで社会人になれるのだろうか

一通り落ち込んでずっともやもやして

単純だ

通ったって聞いたら
なんてすてきな自分なんだろうって気になって
トイレにいって
手を洗って鏡見たら
いつも通り
実験が嫌いで
頭のなかイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤな人がいた

ヒゲはそってあった。
晴れろ。



”はなうた”

歌う気はあるし
弾く気はあるし
だけど足りていないのも知ってるから
じゃあこの気持ちをどう扱ったらいいのか
曲を作ってみようか
曲を作ったらそれをまた持て余すでしょう
無欲に無欲に無欲に
作って弾いてそれを固めて土に埋めるようなことがしたい
誰も聴かないで良い。

なんか生えるかな。




”ぐちぐち”

終了。

日記体の練習(事実行動のみを列挙する篇)

12月15日 (晴れときどきくもり)

7時まえ、目覚める
7時、目覚ましを止める
8時20分、離床

納豆トーストの食事
うすくシャワー
使い捨てコンタクトレンズを新調

9時まえ、バイト先の研究室へ到着
待てど暮らせど、ボスが来ず
片付けものをしたのち、本を広げる
萩原朔太郎「猫町」収録の「虚無の歌」に昨日の会話との接点を発見
「虚無よ!雲よ!人生よ」と結ばれた

10時、ボスから電話
今日の内容をすっかりわすれ、別のところに居るとのこと
予定変更で、下拵えを一人ですることに

熱湯にちかい高温環境で暮らしている細菌のフリーザーバッグ
これを流水解凍ののち、超音波で破砕

13時、学生食堂にてボスと食事
中華丼とかぼちゃの煮付け
ボスは麻婆豆腐に、なすの煮浸しに、みそ汁、あとなにであったか
とにかく菜数が多い
日本語で馴れない操作を学ぶことに疲れていた
日、独、中国語の差異や、語と映像と音のかかわりについて会話
表意文字の速読における優位を確認

部屋へ戻る
ひきつづき超音波にて破砕
数度高速遠心をし、滓を回収して液体窒素で急速冷凍ののち、マイナス80度保存
液体窒素タンクの使い道がわからず、技官さんに尋ねる
ひねれどひねれどきゅうと空気が唸るのみだとの旨を伝えると
あのタンクは今切れているのだと回答
僕はついにこんな簡単なこともできんくなったんかと思って悲しかった
というと笑っていた
今日は一日こっちですかと問われ
もうすぐ終わりですが放っておかれて少し淋しい、が信頼を感じて嬉しいというと
ボスはなんだか私のことを信頼しているように彼女はみているとのこと

18時
帰宅まえに書店へ
行方不明の小川洋子「まぶた」を購入
カレー屋に寄り、野菜のスープカレー
「まぶた」中の「詩人の卵巣」を読む
さあ暴いてやろうとの姿勢で読むと
たまたま仕掛けの効いた一編を引き当てており
見事にはねかえされた、なんというねたましい才

19時頃
帰宅
アイドルの映像を一通り確認
インスタントコーヒーでカフェオレを温めて飲む

20時頃
ギターを弾いているとコードがループする
久々の体感

”不覚を泳いで行く暗渠がひらいている
たまさかとりわけそれ以外ないように”

との詩とメロディが浮かび、携帯電話に吹き込む

21時頃
日記体の練習をブログでする
感想を極力排除した文体との設定
日記の色香はおそらくこの無機質から透けて匂い立つ生理こそにある
とはたれか小説家の意見であったと記憶するが
同意したのでわがものの意見にも現在はなっている

結びに近づくにつれ、感想を記したくなっている欲求を押さえつける

21時40分
日記のこの箇所を書き付けている

日を記し尽くす為には、一日の最も最後に書き付けるのが最適であるが
その場合眠気との付き合い方はどうなっているのかとの疑問を抱く


24時頃
就寝の予定

つちくさいことば。

昨日めでたく
この、ことことブログ(ここに勝手に略称を設定)を開設し
さあ、張り切って毎日いち作文をしようと意気込んでいたのですが

今は夜中の12時半。はやくも日をまたいでしまいました。
なにか書き付けなければ、と焦ってはいるのですが
尊敬している先輩と5時間もぶっ通しで会話をしていたので
頭がちりちりしており、今日は締まりのない雑記におわると思われます。
それでも、ひと走りしてみよう。


近頃は、言葉の危機を、そればかりをずっと考えています。

こういうと、「キレる若者達」「昭和のあたたかい日本」などとのたまう
年寄り連中みたいで、あんたはいったいいくつなんや。とうさんくさいことこの上ないのでしょうが
そういった過去礼賛ではなく
もっと今現在の。私たちの実存に。関わる問題として感じています。
おもにツイッターを通じて、異変を感じていて。


言葉が肉体の生理を離れている。

ツイッターでの
パルスのような感想
はやり言葉
アメリカンジョークのような、仕組みでとる笑い。

いつのまにかネットスラングですらなくなった
リア充、オワコン、などなど

思考の体が言葉になるというより
形をつくってそこに並べるのが言葉
というふうに順序が代わっているような気がしているのです。


ここでもう一つ、生理を離れてしまったものとして
お金を例にとりますと。
過日のサブプライムローン問題は
物物交換を経て、貨幣を生み出し、貨幣の金兌換を廃止し
電子取引きで実物をみなくても済むようになり
ついにはカラの概念にまで上り詰めたお金が幽霊になり
世界中をポルターガイストで揺さぶりまくったという現象でした。

姿かたちのわからない概念を前提として仕切り直し
改めてそれに沿うような器を拵えるのは
たいへんに難のあることで。
ルールは、そのルールに対しては絶対だけど
どうやらわれわれの存在している体と心のないまぜの世界では
ルールの空間が捉えられない隙間が時々できるようなのです。

少し話がそれましたけど
言葉はもともと自分の体(あるいは認知)と心をつなぐものであり
それから対面した他者に話しかけ
遠くはなれた人には紙にかきつけて送り
もうすこし緊急には声だけで受話器からこんにちは

と、じょじょに飛び回る範囲をひろげたものの
なにか自分の体を、受け手の体を駆使している実感は永らくあり
それは、携帯電話のメール交換になっても
送信ボタンにわずかながら残っていました。
相手の読んでいる姿を想像するから絵文字など打つのでしょう。

ツイッターではどうでしょう
もはや受け手の生理は私にはあまり見えません。
それなら送り手はなにを思ってあれだけたくさんの
文字情報を溢れさせているのだろう
私はなにがしたくてあそこでぐちぐち言いまくっているのだろう。
ほかのひとも、ほんとにそんなに言葉が溢れて止まらないのか。

たくさんの郵便受けが
くちをぱくぱくさせてよく喋っているけれど
その口腔は光の射さない影になってて
なにが届いているのかがわからない。
配達証明として、時々イイネ判をおしてもらって空虚。

私は、私は、私は。
私はずぶずぶ私を時々触って確かめないと
たくさんの乾いた生理の中で乾きます。


収束しなくてみっともない。
後日ちゃんと考察に励むとして
このぐしゃぐしゃの、ポジショントークなんか被害妄想なんかわからない
ぐしゃぐしゃ。これそのものが、なんか大事なんです今。


つちくさいことばにたくさんであいたいよ今。
おやすみなさい。

2011年12月13日火曜日

よりぬ記「蛇の道雅の道」(20111003)


(2011年10月03日 mixiに作成したものの非公開。)


日記の書き方を忘れてしまった。
以下、再度みにつけようと試みる。
めちゃめんどいのであんまり読まんでください。

ひとつ前の過去に書いた日記は、8月のおわりのことで。
それからみ度は書こうとしたのだけれど
収束せぬまま苛ついて または過剰が気になって
消してしまっていたのでした。

これはツイッタ病に冒されておるなと
重々自覚しつつも辞められず。

瞬時に 
(誰もみてなくてもよいのですよ というふりを認められながら)一人ごと風に
120字やそこら以内で
書き込めることのなにがそんなに蜜なのかはしらないが
思たことぜんぶ瞬時に棚から下ろしてご破算にできるもんで
しゅるしゅるなか実がなくなり
手荒く脱いだ鱗ばっかりコレクションされているような
気持ちの悪さを感じております。

脱いで減った分はまたすぐ補充というわけで
なんや本を読んだりとするのが小手先にすぎるので
矯正せないかんのです。


あまり自覚なく
見渡せば人より多く一人ぼっちにすごした10代でしたが
体感で色んなことに対峙していたのでした。
それを若かりしするどい感性!
としてむかし化するのはよろしくなく
いまこそ取り組むべきはぼっちです。おそらく。
易いほうへ、流れすぎている。

人と触れ合う術は幸いにもふえ
友人に多少委ねることも覚えた。
あと、なんにも現実のヒト関係だけでなく
本を読んで中身を適当に選って共感などしてみたり
未知の、壁など特に感じない分野に入って行って初期感動を繰り返したり
その幸せが口当たりよすぎるもんで
しぼむ中身を粉飾するのに使ってしまったりする。
それはなんのこっちゃわからん。

いまこそぼっちに親しまないかん。
いやでもいまさらぼっちは無理です。
ほんならせめて表明までの時間を長くすればよいので
ツイッタは、なんとか少しずつ足を洗おうと
おもうけど
こわいなあ。依存すごいなあ。


ところで
書き出しは常に悩ましいね。

見上げりゃ看板がある都市に住んでいると
迷子になんてほぼほぼならんけれど
まっさらな紙(またはテキストボックス)の上では
簡単にほっとかれるからね。

その案内を立てるのやから
書き出しは常に悩ましい。

何かをまっさきに言いきってしまうのは一つの手やね。
”書き出しは重要なり”などと。

ほんでその言いたい事の肉やら弁明やらをもりもり盛っていけばいいのやけど
日記はなんせ日々の記やから
平行して昨日から考えておる事
一ヶ月くらい覆われている事
その渾然としようそのものがいちにちなのかもしれんし
みおとすなにかがあるような



-ちゃうちゃう-

とここまでかいてみて
愕然とするほどなんもわかっとらんのがわかるわけでした。

そもそもなんかい、なんでミクシィなんかいという話で
よこしまなんです。
なんか人に見せうる文章を書いたりする訓練に使おうっていう魂胆があるわけで
心象なりはどうぞ形式など気にせず紙の日記帳にでも書き付ければよいのだから
コラムやエッセイのたぐいの整ったものを書きたいのに

そうよ
そうやって書けそうなことつって
やれどこに行った何をみたどう思た是非にどうぞ
などという題材を日常意識して集めていたりするのに
いざこうしてその場にたってみると

心持ちのどろ とした部分を貼付けるような
書いてるだけで快楽 な文章をぽちぽちもしたくあるわけで
そのどっちもなどっちつかずを書きなぐって興味を持たれるのは
もともと興味を持たれるのが仕事の芸能人かなんかで
ああ、ええい芸能人がうらやましいというような。
わけのわからん転倒があり。

白状しますけどね、このさい。
脳内で一人インタビューとかするんですよ。
どんだけ顕示欲のかたまりなんですか。

かまってちゃんではさほどないけど
たぶん重度のわかってちゃんなのね

本とかね
わかってちゃんしか書かないから
そのわかってちゃんを読んでわかってやると
もうしてやられた感すごいのですよ。

やけどもわかってもらうまでにどんだけ
あんなひゃくにひゃくさんびゃくページもガタガタ一人で書いて
それを成立さすのにどんだけしんどいか
とおもうと
120文字でわかってもらおうなんて
そんなんちゃんちゃら。
ほんな対症療法はもつはずもなく。

わかってちゃんを養うのに必要な労力を思うとにっちもさっちも。
いかんけど対峙していかなそれこそ存命の根本に関わってくる訳で

さすればとりあえず書けばよい
言ってみればよいのだ

というのがわかってちゃんたちが口をそろえていうことなので
たぶんそうだ と通算ここ日記書かなかった期間で思った事。

要はそうやったんかいと、乱暴に振り返りが成功した気がする。


あれやわ。音楽きいとって
色々よくて、どんだけ悩んでそうな内容の曲でも
それを形にしとる時点であんたは幸せやろが
というようなことを感じて拗ねていた楽器弾けなかった時代。
思い出す。

なんとかはねつけようと楽器を試みて
中途半端にひどくないレベルの曲をこさえるようになって
いちまつの幸せをえましたけど
その効力も切れつつあり
なんやったらこれまで歌詞などで書く事など無限にあるように思っていたのに
近頃はそれがなくなってそれは大変な焦りで。

足りたような気持ちに一瞬なったのが
なんか大きな異常事態やったのかもしれん
常々苛々しとかないかんのかもしれん。
きりきりの文体を得てやね発露させていかないかんのやわ。
お気軽なOLみたいな短歌とか作ってる場合じゃないわ。

ほどよく
はとても甘美で目指したいところやけども
水面下もうぬらぬらにあがきまくっといて
それでやっと
水の上の日々の暮らしオンモードはほどよい風になるのかもしらん。




もうこれは、公開するつもりで充分さらしたのやから
価値があるのやから
公開しやんでもええと思うし
そろそろ眠ったほうがいいから
とりあえず非公開にして
保存をして

寝ましょう。

よりぬ記「指いたい。」(20080303)

(2008年03月03日 mixiより、一部を改訂。)



どうもこたけです。

今日ってひなまつりの日だったんですね
まったく引きこもってたのでまつり損ねました。
どうせ女の子の節句だから関係ないですけどね。

近頃の雛人形は小顔になっているそうです。
他におひなの日の楽しみってあったっけ
ひなあられ。以上?
薬湯みたいな習慣がなかったようなあったような
存在感結構薄いですね。おひな。

子供の頃、子供の日がユニセックスにされてしまっているのに対し
おひなの日は女人オンリーなことに
日本社会のフェミっぷりを憂いたものです。


さておき。

3月1日無事に
免許合宿先の佐世保から帰ってきました。
はたちになりたての心にちょうどよい栄養のある街でした。

青臭いことを少し記録しておきたいと思います。

風景が全て。
人や言葉を含んだ空気が全て。
あの街で何をしたかは実はそんなに関係ない。
機械油と海風による錆びた感じと
海と坂と山を抜けて広がるやたらと青い空と島々が
共存するあの街で

スーツケース一つでどこにでも行けるような
絶えず大気との交換をおこなっているため透明な
そんなような人になってみたいとずっと思っていました。

人と出会って別れて
短い期間のために純度の高い感情が
絶えず循環していたので
新陳代謝をすることができたように思います。
人とお別れをすることであんなにさみしくせつなくなれることに
自分自身おどろきました。
そこまで心根腐ってなかった。


たまたま持っていっていた大好きな小説
小川洋子さんの「密やかな結晶」
その島では突然その人口の殆どに
なにかしらの「消失」がおこる
たとえば香水や船やバラや鳥
それらの概念やそこにあった感傷を
消失が消し去ってしまう。
それでも人々は心を薄めてなにもなかったように生きていくことが出来る
そのことを悲しいと思うのは
消失の影響を受けない一部の特殊な人間だけ。
普通の人たちは写真を焼くようにすっかりと忘れ去っていくことができる。

そんな不思議なお話がまた
モノとの在り方について新しい考えを再びくれた。
以前に読んだ時とはまた別の感じだ。

ギターやパソコンや自分で料理をすることとか
日ごろ依存しているものから離れたら
一人でぐっと考えることが出来て
例えば夜の闇におびえることとかはめったに無いけど
そういう見えなくなっていたものをまたいくつか見つけました。

自分の本質にうっと迫ってみると
結局なにも変わっていない気がした。

物を身近に蓄えて囲まれて
城を築くより
その日を暮らすことのほうがきっと

柔軟でしなやかでいられるんじゃないかと
中学時代からあまり実感のないままとりあえず座右の銘に挙げていた
「柳に風」の本質を少し肌で感じることができたように思います。


そんな風に色々思っても
結局通常の生活に帰ってきて
自分はなんらかわることがなく
ただの自堕落な大学生のままです。
好きなものや事に触れて
好き勝手に残り時間を楽しんでいるだけです。

でもいい思い出ができました。
向こうはすぐに忘れるかもしれないけど
たまに思い出したい顔がいくつも残りました。

また旅にでかけたいと思います。
股旅ではありません。気力と体力に乏しい人間です。



あいかわらずとりとめもない。

よりぬ記「無題(学園祭について)」(20111126)

(2011年11月26日 Facebookより)


学校からほど近い我が家には
窓から学園祭の気配が入って来ています。
今日はちなみに晴天です。

出店や、運動場のステージを通り過ぎては
随分みすぼらしく見えることで
自分の順番は既に終わっているのを痛感します。

汚い埃まみれの教室では
後輩たちが僕の過ごしたような青春を今まさに過ごしていました。
それがうらやましくないといえば正直でないけれど
妬ましくなどなく、涙がほお骨くらいまで上がる程にうれしかったので

私はきっと青春をちゃんと飲み下したのでしょう。
今日は少しだけ。おなかからそれを取り出して遊んできます。

よりぬ記「実家のある街」(20090623)

(2009年06月23日 mixi日記より、一部を修正。)

実家に帰ってきた

祖母が病気をしてからというもの 気が気ではない。 

一度は
昆虫の羽根ほどに薄くなってしまった彼女をみたので 

少し回復したその姿を少しでも見ておきたいのだ。 



休みのごとに小遣いをもらって帰るような 

しようのない孫なので 

僕が帰ってくることを素直に喜んでくれていることが恥ずかしくて 

自己嫌悪に陥ることもあり 

今まではそう帰らなかったのだが 

病気をされると 

素直にならざるを得なかったりする。 



ここまでこう書くと 
まるで創作物のように他人事めいている。 



そうだ 

話は変わって 。

実家といったが
適切な呼び名が見つからないので 

あくまで仮にだ。

僕の実家は
実家という匂いのするものではない
現在進行形の一般家庭の様子をしている 



いつでも適度に床は冷えているし
冷蔵庫にも所帯が完全に巣を張っているわけじゃない 

少し洒落気のある食材がなにかしら入っていたりする。 



僕は母が好きだ 

しかし母はまた母ちゃんではなく 

年の離れた姉のようだ 

最近時々妹にすら見えたりもする。 



そんなわけで僕の実家は日を置いて訪れると 

少し他所他所しくなる。 




だから僕が結婚をもししたとして 

どんな家具を置けば 
暮らしを緩ませて 

適度に日焼けさせられるのかわからない。 



こういうわけで 
僕は結婚をする気はない 
と言っておいている。 




大嫌いなこの街 

いけすかんプライドの化けもん達が
似たような高級車に乗って
お人形の手を引っ張って。
一枚5円のビニルではない、紙の、スーパー袋提げて歩きおる。

馬鹿馬鹿しくてやってられんけど 

それを笑い飛ばすことはなぜかできない
そのなぜかがこの街のソレ 

僕の恐れている何か。

母の終の棲家はここではないと
僕は勝手に思っている。
どっかもっとぼーっとしたとこに住もうや。

大学生最後の夏がやってきおった。

急ごしらえでご挨拶。

はじめましてこたけと申します。

ちかごろSNSは群雄割拠で。
大学に入りたての頃からかれこれ約6年愛用してきたmixiは
私の界隈で足が遠のく人が増え
twitterかfacebookへと移行が進んでいるのですが
短文中心の投稿の中
思考に言葉の分量が必要な私は肩身の狭いおもいをしていました。

なので、文字を思う存分書きつけられ
なおかつそれを自分好みの棚に設えることができるブログは
憧れの対象でありまして
ようやく、腰の重さに憧れが勝ったのです。
シーソー傾いたり。

公開するからには
何かの拍子にたどり着く方もいらっしゃるのだろう
ということで
まだなか実が何もありませんが
至急ご挨拶だけでも、と思った次第です。

これまで書いたmixiやtwitter、facebookでの文章を
近いうちにより抜いて引っ越しさせようと思いますので
よければまた訪ねてください。

人の文章を読むのも好きなので、懇意にできたらと思います。


それではまた。