2011年12月13日火曜日

よりぬ記「指いたい。」(20080303)

(2008年03月03日 mixiより、一部を改訂。)



どうもこたけです。

今日ってひなまつりの日だったんですね
まったく引きこもってたのでまつり損ねました。
どうせ女の子の節句だから関係ないですけどね。

近頃の雛人形は小顔になっているそうです。
他におひなの日の楽しみってあったっけ
ひなあられ。以上?
薬湯みたいな習慣がなかったようなあったような
存在感結構薄いですね。おひな。

子供の頃、子供の日がユニセックスにされてしまっているのに対し
おひなの日は女人オンリーなことに
日本社会のフェミっぷりを憂いたものです。


さておき。

3月1日無事に
免許合宿先の佐世保から帰ってきました。
はたちになりたての心にちょうどよい栄養のある街でした。

青臭いことを少し記録しておきたいと思います。

風景が全て。
人や言葉を含んだ空気が全て。
あの街で何をしたかは実はそんなに関係ない。
機械油と海風による錆びた感じと
海と坂と山を抜けて広がるやたらと青い空と島々が
共存するあの街で

スーツケース一つでどこにでも行けるような
絶えず大気との交換をおこなっているため透明な
そんなような人になってみたいとずっと思っていました。

人と出会って別れて
短い期間のために純度の高い感情が
絶えず循環していたので
新陳代謝をすることができたように思います。
人とお別れをすることであんなにさみしくせつなくなれることに
自分自身おどろきました。
そこまで心根腐ってなかった。


たまたま持っていっていた大好きな小説
小川洋子さんの「密やかな結晶」
その島では突然その人口の殆どに
なにかしらの「消失」がおこる
たとえば香水や船やバラや鳥
それらの概念やそこにあった感傷を
消失が消し去ってしまう。
それでも人々は心を薄めてなにもなかったように生きていくことが出来る
そのことを悲しいと思うのは
消失の影響を受けない一部の特殊な人間だけ。
普通の人たちは写真を焼くようにすっかりと忘れ去っていくことができる。

そんな不思議なお話がまた
モノとの在り方について新しい考えを再びくれた。
以前に読んだ時とはまた別の感じだ。

ギターやパソコンや自分で料理をすることとか
日ごろ依存しているものから離れたら
一人でぐっと考えることが出来て
例えば夜の闇におびえることとかはめったに無いけど
そういう見えなくなっていたものをまたいくつか見つけました。

自分の本質にうっと迫ってみると
結局なにも変わっていない気がした。

物を身近に蓄えて囲まれて
城を築くより
その日を暮らすことのほうがきっと

柔軟でしなやかでいられるんじゃないかと
中学時代からあまり実感のないままとりあえず座右の銘に挙げていた
「柳に風」の本質を少し肌で感じることができたように思います。


そんな風に色々思っても
結局通常の生活に帰ってきて
自分はなんらかわることがなく
ただの自堕落な大学生のままです。
好きなものや事に触れて
好き勝手に残り時間を楽しんでいるだけです。

でもいい思い出ができました。
向こうはすぐに忘れるかもしれないけど
たまに思い出したい顔がいくつも残りました。

また旅にでかけたいと思います。
股旅ではありません。気力と体力に乏しい人間です。



あいかわらずとりとめもない。

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