2011年12月13日火曜日
よりぬ記「蛇の道雅の道」(20111003)
(2011年10月03日 mixiに作成したものの非公開。)
日記の書き方を忘れてしまった。
以下、再度みにつけようと試みる。
めちゃめんどいのであんまり読まんでください。
ひとつ前の過去に書いた日記は、8月のおわりのことで。
それからみ度は書こうとしたのだけれど
収束せぬまま苛ついて または過剰が気になって
消してしまっていたのでした。
これはツイッタ病に冒されておるなと
重々自覚しつつも辞められず。
瞬時に
(誰もみてなくてもよいのですよ というふりを認められながら)一人ごと風に
120字やそこら以内で
書き込めることのなにがそんなに蜜なのかはしらないが
思たことぜんぶ瞬時に棚から下ろしてご破算にできるもんで
しゅるしゅるなか実がなくなり
手荒く脱いだ鱗ばっかりコレクションされているような
気持ちの悪さを感じております。
脱いで減った分はまたすぐ補充というわけで
なんや本を読んだりとするのが小手先にすぎるので
矯正せないかんのです。
あまり自覚なく
見渡せば人より多く一人ぼっちにすごした10代でしたが
体感で色んなことに対峙していたのでした。
それを若かりしするどい感性!
としてむかし化するのはよろしくなく
いまこそ取り組むべきはぼっちです。おそらく。
易いほうへ、流れすぎている。
人と触れ合う術は幸いにもふえ
友人に多少委ねることも覚えた。
あと、なんにも現実のヒト関係だけでなく
本を読んで中身を適当に選って共感などしてみたり
未知の、壁など特に感じない分野に入って行って初期感動を繰り返したり
その幸せが口当たりよすぎるもんで
しぼむ中身を粉飾するのに使ってしまったりする。
それはなんのこっちゃわからん。
いまこそぼっちに親しまないかん。
いやでもいまさらぼっちは無理です。
ほんならせめて表明までの時間を長くすればよいので
ツイッタは、なんとか少しずつ足を洗おうと
おもうけど
こわいなあ。依存すごいなあ。
ところで
書き出しは常に悩ましいね。
見上げりゃ看板がある都市に住んでいると
迷子になんてほぼほぼならんけれど
まっさらな紙(またはテキストボックス)の上では
簡単にほっとかれるからね。
その案内を立てるのやから
書き出しは常に悩ましい。
何かをまっさきに言いきってしまうのは一つの手やね。
”書き出しは重要なり”などと。
ほんでその言いたい事の肉やら弁明やらをもりもり盛っていけばいいのやけど
日記はなんせ日々の記やから
平行して昨日から考えておる事
一ヶ月くらい覆われている事
その渾然としようそのものがいちにちなのかもしれんし
みおとすなにかがあるような
-ちゃうちゃう-
とここまでかいてみて
愕然とするほどなんもわかっとらんのがわかるわけでした。
そもそもなんかい、なんでミクシィなんかいという話で
よこしまなんです。
なんか人に見せうる文章を書いたりする訓練に使おうっていう魂胆があるわけで
心象なりはどうぞ形式など気にせず紙の日記帳にでも書き付ければよいのだから
コラムやエッセイのたぐいの整ったものを書きたいのに
そうよ
そうやって書けそうなことつって
やれどこに行った何をみたどう思た是非にどうぞ
などという題材を日常意識して集めていたりするのに
いざこうしてその場にたってみると
心持ちのどろ とした部分を貼付けるような
書いてるだけで快楽 な文章をぽちぽちもしたくあるわけで
そのどっちもなどっちつかずを書きなぐって興味を持たれるのは
もともと興味を持たれるのが仕事の芸能人かなんかで
ああ、ええい芸能人がうらやましいというような。
わけのわからん転倒があり。
白状しますけどね、このさい。
脳内で一人インタビューとかするんですよ。
どんだけ顕示欲のかたまりなんですか。
かまってちゃんではさほどないけど
たぶん重度のわかってちゃんなのね
本とかね
わかってちゃんしか書かないから
そのわかってちゃんを読んでわかってやると
もうしてやられた感すごいのですよ。
やけどもわかってもらうまでにどんだけ
あんなひゃくにひゃくさんびゃくページもガタガタ一人で書いて
それを成立さすのにどんだけしんどいか
とおもうと
120文字でわかってもらおうなんて
そんなんちゃんちゃら。
ほんな対症療法はもつはずもなく。
わかってちゃんを養うのに必要な労力を思うとにっちもさっちも。
いかんけど対峙していかなそれこそ存命の根本に関わってくる訳で
さすればとりあえず書けばよい
言ってみればよいのだ
というのがわかってちゃんたちが口をそろえていうことなので
たぶんそうだ と通算ここ日記書かなかった期間で思った事。
要はそうやったんかいと、乱暴に振り返りが成功した気がする。
あれやわ。音楽きいとって
色々よくて、どんだけ悩んでそうな内容の曲でも
それを形にしとる時点であんたは幸せやろが
というようなことを感じて拗ねていた楽器弾けなかった時代。
思い出す。
なんとかはねつけようと楽器を試みて
中途半端にひどくないレベルの曲をこさえるようになって
いちまつの幸せをえましたけど
その効力も切れつつあり
なんやったらこれまで歌詞などで書く事など無限にあるように思っていたのに
近頃はそれがなくなってそれは大変な焦りで。
足りたような気持ちに一瞬なったのが
なんか大きな異常事態やったのかもしれん
常々苛々しとかないかんのかもしれん。
きりきりの文体を得てやね発露させていかないかんのやわ。
お気軽なOLみたいな短歌とか作ってる場合じゃないわ。
ほどよく
はとても甘美で目指したいところやけども
水面下もうぬらぬらにあがきまくっといて
それでやっと
水の上の日々の暮らしオンモードはほどよい風になるのかもしらん。
もうこれは、公開するつもりで充分さらしたのやから
価値があるのやから
公開しやんでもええと思うし
そろそろ眠ったほうがいいから
とりあえず非公開にして
保存をして
寝ましょう。
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